「もっと優しい旅への勉強会」定例会報告

2001年3月 定例会の報告
「車いすでの北米大陸横断旅行について(Part1)」

講師:TARO’s Project代表 服部一弘氏

日時:2001年3月21日

会場:JATA会議室

TAROさんのお話

今から15年前の1986年に交通事故にあいました。車いすの使用を始めたのはその翌年からです。
86年の7月、友人3人とオートバイと車で「時計周りに北米を一周」する計画をし、ロサンゼルスに入りました。コースはそこからシアトル、更に北上してカナダ、その後南下してアメリカへ戻り、してイエローストーン、ソルトレークシテイなどを経て国境沿いに五大湖、ナイアガラから再度カナダ入りという経路を辿りました。そして、途中からは四人を二人ずつに分け、ニューヨークで落ち合うことにしました。
私は友人と二人でカナダのノバスコシア州の北を回りました。8月29日、シドニーという町の近くのキャンプ場に泊まった際、ロブスターを食べにいこうとバイクを走らせていて事故にあいました。
しかし、気が付いたときは事故から約一月後の10月で、真っ白い病室の中でした。対向車を避けて電柱に激突、肋骨と背骨を折って意識不明となったとのこと。医者が「翌年の桜の咲く頃には歩けるようになる」と言うので、あまり深刻にもならずにいられました。
11月、寝たままの帰国。移送車で運ばれ、飛行機の中では6席を使ってベッドに。友人と看護婦の席もいれて9席を使っての旅でした。直行便がありませんから、シドニー、ハリファックス、トロントへと乗継ぎ、成田行に乗りました。ハリファックスでは空港がバリアフリーになっておらず、階段をキャタピラー付の車いすで乗継ぎました。成田では入管の人が飛行機まで来てくれて手続きし、タラップ下まで移送車がきていてそれで厚木の病院へ直行しました。
夜運び込まれ、朝、主治医がきて足の屈伸をしてみて「はい、一生車いすですね」と宣告されました。
脊髄損傷の専門病院で、周りには若いオートバイ事故による患者がたくさんいました。ここで車いすの操作に慣れると旅行好きですからもうじっとしていられません。看護婦に聞くと「障害があってもなくても関係ありません」と言われ「よし、もう一度カナダへ行くぞ」と心に決めました。試しにまず沖縄旅行をしてみました。それは普通に行けました。飛行機の中でも問題なく、到着後はホテルまでタクシーを利用しました。
そしてカナダ。その頃JALでは身体障害者の搭乗には医師の診断書(というか許可証のようなもの)が要求されました。カナディアンパシフィックからはそんなことは言われないので、これを利用することにして、8月、暑いときに成田空港を出発しました。
シドニーに着いて病院の支払に行くと病院の皆さんが喜んでくれました。医師の話では、母国と離れたところで事故にあい、月日も経たないうちに「歩けない」と言ってもプラスにはならないし、歩ける可能性もあるので、「歩けるようになる」と言ったそうです。それは医師の希望でもあったのでした。カナダの町には車いすの老人がたくさんいます。車いすを見る目が優しいのです。ショッピングモールの入口に三段ほどの階段があって、スロープに回って行きながらふと見ると、後からきたおばあさんが、車いすからひょいと降りて階段の上に車いすを運び上げ、また乗って行く。そんな光景を目にします。車いすを「障害者のもの」と結びつけず、単に一つの「道具」と考えているのです。
自動ではない押し開きドアに差し掛かると、金髪の若い人がきてさっとドアを開けてくれました。そのときは「優しい人だ」と思いましたが、これが向こうの人にとっては当り前なのですね。今回の旅でそのことに気が付きました。
帰国して13年後、時計でいえば午後2時のところで止まった横断旅行を何とかつなげて完走したい、バリアフリーを流行の風潮としてではなく、継続性のあるものにしたいという思いから、「タローズプロジェクト」を立ち上げました。あの「運び込まれた病院」の前からスタートをする横断旅行を2000年8月30日に再開しました。オートバイの荷物入れに荷物が納まりきらず、ディパックやシュラフなど外にくくり付けたのが心配で食事やトイレ、水飲みにも行けず、キャンプ場に付くとヘロヘロに疲れていました。自炊する気にもなれず、インスタント食品と1本のビールという暮らしが続きました。
車いすの人に優しいということについてはそうでもない場合も分かってきました。助ける人は、助けられる人より余裕があるとき助けないと「自分が卑怯な人間だ」と感じてしまうのですね。助けられるほうも気を使わないで済む。向こうでは助けていても別れ道に差し掛かると「ここまで」とはっきり言ってくれるから気が楽です。ボストンはきれいなところですがダウンタウンは道が古く凸凹です。歴史のある道は直せない場合があり、環境保護団体と身障者団体の間にはせめぎあいもあるということです。善光寺にあるような取り外し式の足場を組んで車いすで通れるようにしているところもあります。
ニューヨークではバイクの修理の間、マンハッタンのミッドタウンのYMCAへ一週間泊まりました。ソーホーまで車いすで出かけ、帰りはバスを利用しました。バスは真ん中がパッと開きスロープがサッと出る。乗降が素早くできるので他の乗客に気兼ねしなくてよかったです。モーテルにはスロープがなくハンディキャップルームもないところがありますが、食べ物屋には必ずありました。バーガーキングのテーブルが二席しかないところでもハンディキャップルームがありました。 ワシントンDCでは、治安が悪いためもあるのでしょうが、モーテルのドアの覗き窓が下のほうにもあり、車いすでも覗いて相手を確かめられます。ドアのカギも二つあります。洗面台の下に斜めの板があり、車いすが入れるように工夫したつもりなのでしょうが、実際に使う人に検証してもらわなかったのか、うまく使えませんでした。トイレは一般的に広く、車いすでも利用できますが、トイレットペーパーの位置が遠すぎて届かないところもありました。フランチャイズになっていて、北米大陸各地にあるKOA(キャンプオブアメリカ)のひとつでカナダでの取材記事を見せると、感激してただにしてくれ、行く先ざきのフランチャイズに連絡してくれていました。車いすでの困難な旅にチャレンジしていることが冒険と挑戦の好きなアメリカ人気質を感激させたようです。キャンプサイトは20ドルと高いのですが、フロリダのKOAではシャワー台、トイレなど車いす用に良くできています。日本では身障者用のトイレの位置を確認してから出かける、といったら、「君たちの国には人権ってないの」といわれてしまいました。

質疑応答

Q:ADAは自立できる人を対象にしているようだが、重度障害者は?

A:本人に○○したいという気持ちがあれば叶えようとする。重度でも関係ない。誰でも同じように仕事をするのが当り前だという意識があり、自立の意識が強い人が多いと思う。ADAは仕事をしようとする人を支援する。

Q:アメリカではさっと介助してくれる。優しさは本能ではなく教育で得られるものだと思うが?

A:宗教観もその一つ。親子の間で当り前の感覚が育つ。多民族であるため敵意がないことを示す必要もある。余裕がないときは助けない。

Q:オートバイの長旅で蓐瘡は?

A:一ヶ月くらいで出て薬を付けながら抑えましたが次第に拡大、帰国後一ヶ月も直らなかった。

Q:今後の予定は?

A:来年韓国縦断を考えている。

TARO’s Project
URL:http://www.is22.co.jp/t-prj/

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